はじめに
鎮守の八幡宮の拝殿前の狛犬が子供と一緒にいるのに気がついたのは二〇一一年の冬の終わりのことだった。それまで何度も目にしていたのにこの時に初めて気にとめたというのは東日本大震災の直後で不安の多かった時期で妻と子供達を実家に行かせており、東京にひとりでいた時期であったという状況がそうさせたのかもしれない。
鎮守の狛犬を眺めながら浮かんだ疑問が、狛犬というのはこのように子供連れで彫られているものだったろうか、ということだった。それまで風景の一部としてしか見ておらず細部については気にしてこなかった狛犬というものを意識的に見て歩くようになったのはここを端緒としている。周辺の神社を見て回って分かってきたことは、狛犬の構図として阿吽とも子供と彫られているものが周辺には多いが全体からみると珍しいようだ、ということだった。ならば範囲を拡げて調べていくと傾向や理由が浮かびあがってくるのではないだろうか。
このようにして神社仏閣の狛犬を見ているうちに興味はその作り手たる石工にも及ぶようになった。奉納された石彫作品の一部には作者の名前が彫られていることがあるが多くは無銘である。だが無銘でも彫刻作品として優れたものがあるのだ。そして本邦においては近代彫刻というと木彫、塑像、鋳造といった分野でもってまず発展しているように見えるが石彫はその歴史や技術の蓄積量と相反して主流ではなかったようにみえる。私は、自らが興味を持った作品たちとその作者たちについて書くことによって、遡って優れた石工たちへの称賛へのきっかけを作ることにもなりえるのではないかと考えるようになった。
石彫作品を訪ねることを続けつつも書き始めたのはこのようなおもいからであって、どこかで話しの筋を覆してしまうような発見があった時には改稿があるだろうがご容赦いただければ幸いである。
以上、note に記載している導入章は仮の記載であったので改めて「はじめに」を書き直した。note ではマガジンを組んでいて、その中で本編以外に注釈や余談についても投稿している。本編はここにも埋め込みでリンクしているので開いてお読みいただけるようにしている。いずれ著作としてまとめるときが来れば note については有償設定にすることを考えておりそのような公開設定については今後そのときの状況によって判断を変えることがあるが、読んでも良いかとおもっていただいた方には届くような判断を心がけたいとはおもっている。